名古屋駅の変遷 新名古屋駅建設

名古屋駅開業

昭和12年(1937)に臨海工業地帯(南区熱田前新田)で開催された名古屋汎太平洋平和博覧会にむけて桜通(名古屋駅~大津通)や東山公園の建設が行われました。名古屋汎太平洋平和博覧会にあわせ建設が進められていた名古屋駅も2月に完成しました。笹島は貨物専用駅として昭和61年(1986)まで使われました。
昭和20年(1945)3月と5月の空襲で名古屋の中心部は焼土と化しましたが、名古屋駅は類焼をまぬがれ1999年のJRセントラルタワーズの完成まで名古屋の玄関口として多くの旅客に利用されました。
昭和30年代には、駅前に高層ビルが建設されターミナルステーションとしての体裁を整えました。


詳しくは下記の解説と関連映像(解説下)をご覧ください

完成間近の新名古屋駅

地階

昭和12年(1937)2月には旧駅舎(笹島)の北西に地上6階地下1階の新しい名古屋駅が新築されました。 新名古屋駅は、旧線の西側に建設され、旧線は現在名駅通になっています。写真は完成まじかの新名古屋駅の旧路線を走る蒸気機関車の様子です。
(名古屋市広報課蔵)

完成前の桜通名古屋駅前

地階

昭和12年(1937)に臨海工業地帯(南区熱田前新田)で開催された名古屋汎太平洋平和博覧会にむけて桜通の建設が行われました。桜通は幅員50m、名古屋駅から現在の桜通大津付近まで拡幅されました。写真は拡幅工事がほぼ完了し最後の仕上げ工事中の桜通です。
(名古屋都市センター蔵)

移転後の名古屋駅前

地階

笹島から北方に移転新築された名古屋駅は竣工当時、東洋一の駅ビルと呼ばれていました。2000年のJRセントラルタワーズの完成まで名古屋の玄関口として多くの旅客に利用されました。
(名古屋都市センター蔵)

焼失した名古屋市中心部

地階

太平洋戦争末期の昭和20年(1945)3月と5月にアメリカ軍による大規模な空襲が行われました。名古屋城をはじめ名古屋の中心部が焼土と化しましたが、名古屋駅は焼失することなく、1999年に新築されるまで、利用されました。
(名古屋都市センター蔵)

名古屋駅前(昭和20年代中頃)

地階

敗戦の混乱もやっと収まり、復興にむけての動きが始まりました。焼け野原だった駅前にも家屋が建設され名古屋の陸の玄関としての体裁が整いはじめました。写真左、堀内ビル、中央に毎日新聞の社屋が見えます。右端のビルは、新築前の名鉄百貨店。
(名古屋都市センター蔵)

名古屋駅付近(1954年)

地階

朝鮮戦争による、米軍の特需は日本経済復興の弾みとなりました。駅前の整備もじょじょに進められ、昭和30年代からの高度成長を迎えようとしています。しかし、空地も目立ち現在からは想像できないのどかな雰囲気を漂わせています。
(名古屋市広報課蔵)

名古屋駅前(昭和30年代初頭)

地階

昭和31年(1956)に経済企画庁は経済白書で「もはや戦後ではない」と記述、高度経済成長がはじまりました。桜通を通る車の数も増え始め、来るべき車社会を想像させる風景が見られます。
(名古屋都市センター蔵)

名古屋駅前地下鉄工事

地階

昭和32年11月15日1号線として名古屋駅-栄町駅(現在の栄駅)間、2.4kmの開業をめざし工事が進められています。駅前にも高層ビルの建設が進められ、名古屋の玄関口としての体裁もととのいつつありました。 建築中のビルは毎日ビル、現在のミッドランドスクエア。
(名古屋都市センター蔵)

名古屋駅前(1961年頃)

地階

名古屋駅前ロータリー北東角では大名古屋ビルヂングの建設が進んでいます。昭和40年(1965)に竣工。 現在、平成27年(2015)完成に向けて超高層ビルへの建替え工事が進行中です。
(名古屋都市センター蔵)

名古屋駅周辺(1965年)

地階

笹島駅は、昭和12年(1937)の新駅建設にともない貨物取扱い専用の駅となりました。昭和61年(1986)、業務を西名古屋港線の名古屋貨物ターミナル駅に譲るまで貨物の取り扱いを行いました。駅前だけでなく栄周辺にもビルが立ち並んでいます。写真左上は名古屋城。
(名古屋都市センター蔵)

掲載映像の紹介

名古屋駅の歴史(3min)

明治19年に笹島に東海道線名古屋停車場が開業してから、現在までの名古屋駅と周辺の歩み。

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