昭和時代(中頃まで)の南寺町周辺

 

昭和時代(半ば頃まで)の出来事

大正天皇が崩御され、昭和天皇が即位されると全国で天皇即位の御大典奉祝記念事業が行われました。名古屋でも鶴舞公園で御大典奉祝名古屋博覧会が開催され、昭和4年(1929)の天皇行幸に向けて本町通の整備、拡幅工事が行われました。また昭和5年(1930)には、中川運河、松重閘門、名古屋市公会堂などが竣工、昭和9年(1934)、名古屋の人口は100万人を突破しました。大須門前町界隈では、大正12年(1923)に 旭廓が中村に移転、家具を扱う店や映画や芝居を楽しむ娯楽街として変化をとげてゆきました。


-詳しくは下記の解説と関連映像(解説下)をご覧ください-

御大典奉祝名古屋博覧会会場入口

地階

昭和天皇の即位記念と商業振興を目的に、昭和3年(1928)9月15日から11月30日までの77日間、鶴舞公園で御大典奉祝名古屋博覧会が開かれました。本館・機械館・農林館・電気館などのパビリオンが会場にならび入場者数は194万人を超えました。
(名古屋市市政資料館蔵)

本町通整備前の岡谷商店

地階

寛文9年(1669) 初代岡谷總助宗治が、名古屋の本町通沿い鉄砲町(現在の本社)にて金物商「笹屋」を創業。江戸、大阪にも出店を構えました。昭和12年(1937) 株式会社岡谷商店を設立、昭和18(1943)岡谷鋼機株式会社に改称しました。
(鶴舞中央図書館蔵)

本町通から御幸本町へ

地階

昭和4年(1929)の天皇行幸にあわせて本町通の整備拡幅工事が昭和3年(1928)に行われました。玉屋町4丁目から本町1丁目までの約1000m、幅員も14.5mに広げられ、本町通りは、この時より御幸本通りと改称されました。写真は末広町より北方を見た風景。
(名古屋都市センター蔵)

松重閘門-昭和5年(1930)竣工

地階

昭和5年(1930)、名古屋港と笹島駅を運河で結ぶ目的で行われた中川運河の整備が完了しました。一方、堀川と中川運河の連絡をはかるため1mの水位差を調整するため松重閘門が造られました。昭和51年(1976)輸送手段だ陸運にかわり使用が停止。現在は名古屋市の都市景観重要建築物となっています。
(名古屋市広報課蔵)

名古屋市公会堂-昭和5年(1930)完成

地階

昭和天皇の結婚記念として昭和5年(1930)9月に竣工しました。10月には、東久邇宮を迎え、新装した 公会堂を中心に人口100万記念式典が行われました。
(名古屋市市政資料館蔵)

鶴舞動物園-大正7年(1918)開園

地階

大正7年(1918)4月1日、鶴舞公園付属動物園が現在の勤労会館付近に開園しました。動物園の面積は 1万700平方メートル。細長い敷地には、トラ、ヒョウ、ワニ、ヘビ等100余点、鳥類が270余羽がが飼育されていました。昭和12年(1937)、東山へ移転するまで市民に親しまれました。
(名古屋市市政資料館蔵)

大須七ッ寺と岩井通-戦災で焼失前の三重の塔

地階

大正12年(1923)旭遊郭が中村へ移転、市電が門前町から水主町(かこまち)まで延長されました。歌舞伎座も岩井通に移転し、大須七ッ寺の三重の塔(戦災で焼失)も威容をはなっています。
(映像塾蔵)

大須仲店

地階

大正12年(1923)旭遊郭が中村へ移転したため、芸妓小屋や小料理屋は姿を消し芝居や映画を見る歓楽街として変化してゆきました。大須観音に通じる大須仲店では、店が軒を連ね人通りが夜まで絶えませんでした。
(映像塾蔵)

本町通橘町一丁目から門前町方面を見る

地階

江戸時代の初頭、橘町周辺は千本松原と呼ばれるほど松が一面に生茂る、名古屋城下の南端でした。木戸が設けられ、本町通を通って熱田神宮に参詣する客は、盗賊を恐れ橘町の茶店に荷物を預けたと語られています。
(名古屋都市センター蔵)

本町通橘町一丁目より南を見る

地階

本町通の路地を西に入った所にある栄国寺は、土器野に移転されるまで刑場があった所で、切支丹も処刑されました。現在、栄国寺境内には切支丹博物館があり、その名残をとどめています。橘町から南の本町通は、戦前に拡幅されて現在は伏見通の一部となっています。

再建前の大須観音境内と仁王門通

地階

若宮大通りの建設や、伏見通りの拡幅などで栄、広小路の繁華街と分断されたため、大須商店街は 衰退してゆきました。多くあった芝居小屋や映画館もしだいに姿を消してゆきました。しかし、昭和42年(1967)の地下鉄名城線の開通、昭和52年(1977)のアメ横のオープンなどで再びにぎわいを取り戻し、現在では下町情緒の残る商店街として若者にも人気のスポットとなっています。

映像の解説

掲載映像の解説

①地図で見る昭和時代の南寺町周辺 (3min09sec)

昭和時代の南寺町(現在の栄2・大須・橘町周辺)をCGで紹介しています

②戦前・戦後の栄国寺について語る(5min55sec)

栄国寺の由来からキリシタン博物館開館にいたる経緯、二代藩主光友の功績や戦災体験について 栄国寺第19世住職 若松啓雅さんに語っていただきました。(2002年収録)

③戦前の東別院・本町通・大須について語る(5min55sec)

崇覚寺の元住職 水谷司公さん(故人)は、戦前まで東本願寺名古屋別院掛所内にあった私立尾張中学校(旧制)に 勤務された経験もあり、昭和初期の東別院や大須界隈の変遷をお聞きしました。(2002年収録)

C57x5EpNDIE,-1yiqKK1o9g,SPMDFPwLTQY