名古屋城下-東寺町

名古屋城下-東寺町

徳川家康は名古屋城下を防備するため 西、南、東に寺町を建設しました。その一つ東寺町は駿河町を起点とする飯田街道(駿河街道)に交差する禅寺町筋と法華寺町筋に沿って寺院群が構成されていました。北は現在の桜通、南は瓦町あたりまでにまたがり、大きな門前町を形成していました。駿河街道(飯田街道)は八事を経由し途中分岐して中山道や家康のルーツ岡崎に通じる街道として重要視されました。尾張名所図会は平行して伸びる禅寺町筋と法華寺町筋に並ぶ中小の寺院群を西から俯瞰して描いています。昭和初期までは江戸時代のたたずまいを残していましたが、戦後名古屋の都市化とともに寺院の移転や敷地の大幅な減少で、現在ではビルの谷間に寺院が埋まって点在しています。


-詳しくは下記の解説と関連映像(解説下)をご覧ください-

尾張名所図会デジタル着色-東寺町(映像塾蔵)

地階

名所図会は、江戸時代に各地で作られた絵と文章で説明した現代の観光案内書にあたるものです。尾張でも、西枇杷島の青物問屋主人野口道直、尾張藩士で学者の岡田啓、画家の小田切春江らによって尾張名所図会の前編が出版されました。途中で資金が切れてしまい、後編は愛知県の援助もあって明治時代に刊行されました。東寺町の様子は、前編に掲載されています。
原本の白黒の木版画を、映像塾がデジタルでイメージ着色したものを掲載しています。


外部リンクー東寺町[Network2010]


-掲載動画の紹介-

①現存する、東寺町の寺院を紹介しています。(3min36sec)

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