名古屋城の今

名古屋城の今

名古屋城は、本丸御殿の復元すすめられ2018年の全体公開に向かって様々な整備計画が企画されています。二之丸庭園の保存・整備、にぎわいを創出する「金シャチ横丁」、また名古屋城の所有する重要文化財を 展示する展示館の建設も検討されています。2009年に結成された名古屋おもてなし武将隊は、来城者を熱く迎えて飽きさせません。このコーナーでは、イベント映像などを掲載し名古屋城の今を発信します。


下記の名古屋城周辺の施設案内、掲載映像(案内下)もご覧ください

お濠電車路線跡

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名鉄瀬戸線は明治44年(1911)から昭和51年(1976)まで、名古屋城の外堀の中を走っており、「お濠電車」と呼ばれて瀬戸から名古屋へと向かう住民の交通機関として活躍しました。

名古屋市役所

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名古屋市の最初の庁舎は、栄町交差点の西南角にあり明治40年(1907)名古屋港開港の年焼失しました。 その後、現在の中区役所のある場所に移転、陸軍の騎兵第3連隊や野砲第3連隊が現在の守山区に移転、跡地に昭和8年(1933)高さ53mの中央塔を持つ帝冠様式の新庁舎が中区三の丸の現在地に完成しました。

愛知県庁

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廃藩置県が明治四年(1871)発布されました。愛知県は額田県を合併し現在の県域となり庁舎は旧三の丸の竹腰邸の跡に置かれました。その後、東別院、南久屋町と移り、南武平町に移転され昭和時代初頭まで使われました。陸軍の騎兵第3連隊が現在の守山区に移転したこともあり、跡地に昭和13年(1938)、帝冠様式の庁舎を新築移転しました。現在でも県庁として使用されています。

三之丸官庁街と名古屋城

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江戸時代三之丸には、重臣の屋敷が並んでいました。参勤交代で名古屋城を訪れる大名などは、写真中央の道を通り藩主との対面をはたしました。明治時代になると屋敷は壊されて陸軍の兵舎などが置かれました。戦後は官庁街として使われています。

西南隅櫓(重要文化財)

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未申(ひつじさる)櫓ともいわれ、屋根 2 層・内部 3 階の櫓。西、南両面には、軍事用の「石落し」を 張り出して屋根を付けています。大正10年に石垣と共に崩壊しましたが、宮内省によって修理復旧され、鬼瓦などに菊花紋が見られます。

東南隅櫓(重要文化財)

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辰巳(たつみ)櫓ともいわれ、その規模、構造は西南隅櫓と同じですが「落狭間」の破風の形を異にしています。この櫓は創建当時の姿を伝えるもので、鬼瓦などに葵の紋が見られます。

西北隅櫓(重要文化財)

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別名を戌亥(いぬい)隅櫓とも清須櫓とも呼ばれています。屋根は三層、内部は三階で、最上階は入母屋造り本瓦葺(ぶき)で、他の建物の古材を多く用いて建てられました。外部北面、西面に千鳥破風が作られ、「石落し」を備えています。

本丸表二之門(重要文化財)

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本丸大手の外門で、内門である表一之門(焼失)とともに枡形(枡のような四角な形)を形成していました。現存する数少ない名古屋城創建時の建造物です。

2018年頃のイメージ図

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本丸御殿の復元完成公開にあわせて、名古屋城では様々な整備計画が進められています。二之丸庭園の整備や にぎわいの施設、金シャチ横丁などの建設が進められています。

名古屋おもてなし武将隊

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名古屋おもてなし武将隊は、名古屋開府400年(2010年)の前年の11月に、「武将都市なごや」をPRするために結成されました。全国の武将隊ブームのさきがけとなりました。現在は名古屋城を拠点に全国各地を転戦しています。

あいち戦国姫隊

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あいちは、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康をはじめ、全国をおさめた戦国大名の七割以上を生み出し「武将のふるさと愛知」といわれています。そして武将とともに時代を作った姫たちが、現代に甦りました。毎週水曜日に名古屋城で活動しています。


外部リンク-「スマホで見よう!名古屋城」


①名古屋城史跡案内ボランティアガイド01(3min42sec)

正門から西南隅櫓、本丸表二之門、東南隅櫓、二之丸庭園などをボランティアスタッフの案内で紹介しています

②名古屋城史跡案内ボランティアガイド02(4min14sec)

本丸に入って、本丸御殿の復元現場、清正石、天守閣、乃木倉庫、西北隅櫓などをボランティアスタッフの案内で紹介しています。

③本丸御殿玄関・表書院完成記念式典(3min34sec)

2013年5月23日、一般公開に先立ち本丸御殿復元第1期工事の玄関・表書院の完成記念式典が行われました。 当日の模様を紹介しています。
http://nagoyajo.info/

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