昭和時代の熱田周辺と名古屋港の発展

昭和初期の熱田周辺と名古屋港の発展

新堀川の竣工や、名古屋港の開港もあり熱田周辺には、熱田兵器製作所、名古屋瓦斯、日本車両製造、 愛知機械などの重工業をになう工場があいついで建設されました。昭和時代に入ると熱田周辺から、名古屋港に至る地区は、中京地区の一大重工業地区として地位を築きてゆきました。名古屋港もこれに歩調をあわせるように拡張工事を進めました。昭和12年(1937)には、臨海地帯熱田前新田で名古屋汎太平洋平和博覧会も開催されました。
戦後の昭和34年(1959)、東海地方は大型台風の襲来を受け甚大な被害をこうむりました。特に貯木場から流出した木材が多くの被害をもたらしたことから、名古屋港沖に木材団地を建設する計画が進みました。


詳しくは下記の解説と関連映像(解説下)をご覧ください

名古屋瓦斯(東邦瓦斯)工場

地階

明治39年(1906)に、奥田正香らによって現在の東邦ガスの前身、名古屋瓦斯が設立されました。名古屋瓦斯は翌明治40年(1906)に開業し、 市内に初めてガスを灯用として供給しました。開業当時、名古屋瓦斯の工場は精進川(新堀川)沿いに置かれました。 大正11年(1922)に、名古屋瓦斯は関西電気のガス事業部と合併し、東邦瓦斯が設立されました。
(名古屋市市政資料館蔵)

熱田兵器製作所

地階

明治37(1904)に東京砲兵工廠熱田兵器製造所として発足、大正12年(1923)に名古屋工廠熱田兵器製造所となりました。主に観測車、弾薬車、山砲、航空機用機関砲、そして大戦末期には風船爆弾の気球部分も製造しました。昭和15年(1940)に名古屋陸軍造兵廠熱田製造所と改称しています。現在もその面影を残す赤レンガの倉庫が残っています。
(名古屋市市政資料館蔵)

日本車両製造株式会社

地階

明治29年(1896)9月に鉄道車両の製造販売を目的として設立された鉄道車両製造の老舗。現在はJR東海の連結子会社となり鉄道車両、建設機械、特装車、橋梁、農業用プラントなどの製造を行っています。  
(名古屋市市政資料館蔵)

第八高等学校

地階

明治41年(1908)に開校した旧制高等学校で、理系と文系があり3年間の修業年数を終えると帝国大学に 進みました。 現在の大学教養課程に相当する学校です。現在は、名古屋市立大学の山の畑キャンパスとなっています。
(名古屋市市政資料館蔵)

白鳥貯木場

地階

白鳥貯木場は、名古屋城築城のため設けられ、太夫堀と呼ばれる大池に築城用の木材を貯木しました。 明治40年(1907)、名古屋港が開港し、外材の輸入も増加。大正5年(1916)には、中央線や高山線の鉄道で 運ばれた木材を積みおろしする白鳥駅もつくられました。しかし、昭和34年(1959)の伊勢湾台風で流出した木材が甚大な被害をもたらしたことで、名古屋市外の西部木材港への移転がなされ、長い歴史の幕を閉じました。
(鶴舞中央図書館蔵)

名古屋教育水族館と南陽館

地階

明治43年(1910)に、実業家山田才吉は東築地五号地に「名古屋教育水族館」を建設し、その隣に五階建て南陽館の建設を始めましたが 大正元年(1912)の台風と高潮で完成間近に倒壊、再び現在の東築地小の敷地に規模を縮小して開館、南側には熱田海水浴場もありました。しかし昭和10年(1935)に閉館してしまいました。翌年、東築地尋常小学校が跡地に開校しました。
(名古屋市市政資料館蔵)

東築地の渡し

地階

昭和7年(1932)に新設された旧港新橋(開き橋)が出来るまでは東築地から名古屋港へと堀川に県営の渡しが運航されていました。写真は渡し便を待つ乗客。
(鶴舞中央図書館蔵)

旧港新橋

地階

昭和7年(1932)に新設された新設された旧港新橋(開き橋)は、堀川を運航する船舶のため一部が跳ね上げ橋となっていました。橋を渡る人や車は船舶の通過をじっと待つしかありませんでした。現在も旧港新橋のコンクリートの基礎が残っています。
(名古屋市市政資料館蔵)

昭和初期の名古屋港

地階

大正10年(1921)名古屋港の外国貿易額は四日市港を超え、大正14年(1925)には1万トン級の汽船が初めて入港しました。大正15年(1926)、名古屋港と笹島駅を結ぶ中川運河の建設も始まりました。昭和2年(1927)、1万トン級の汽船を含む38隻の船舶の係留が可能なふ頭の改修、7・8・9号地の埋めたてなどが完成しました。
(名古屋市市政資料館蔵)

東邦電力火力発電所(中部電力の前身)

地階

明治22年(1889)、名古屋電灯が設立され、中部地方の電力事業が始まりました。大正11年(1922) 名古屋電灯は、関西電気と合併、さらに九州電灯鉄道も加わり東邦電力が発足しました。産業の発展とともに火力発電の重要性も増し、名古屋港に火力発電所が建設されました。戦時下の昭和17年(1942)東邦電力は解散。昭和26年(1951)、電気事業再編により中部電力が設立されました。
(名古屋市市政資料館蔵)

名古屋汎太平洋平和博覧会

地階

昭和7年(1932)、日本は昭和15年(1940)の紀元2600年記念祭にあわせて万国博と夏季オリンピックを 同時に開催することを決めました。100万都市になった名古屋市においても、国際的な博覧会を開催しようといった機運が起こり名古屋汎太平洋平和博覧会開催が決定。会場は名古屋港北の臨海地帯熱田前新田とされ、昭和12年(1937)3月15日から5月31日までの78日間の会期で開催されました。
(名古屋市市政資料館蔵)

外部リンク
名古屋汎太平洋平和博覧会[Network2010]


伊勢湾台風-昭和34年(1959)

地階

昭和34年9月26日に潮岬に上陸した伊勢湾台風は東海地方に甚大な被害をおよぼしました。市内の貯木場から流出した木材が甚大な被害をもたらしたことで、名古屋市外の西部木材港への移転が進み、名古屋港沖が埋め立てられて広大な木材団地がつくられることとなりました。
(名古屋都市センター蔵)

掲載映像の紹介

①地図で見る昭和時代の熱田・港(3min09sec)

②戦前・戦中の熱田を語る(7min18sec)

高倉宮の付近の宮道で松川屋菓舗(和菓子店)を営まれていた横井正夫さんに熱田神宮周辺の変遷を インタビューした映像。戦前から戦中の熱田周辺の変遷をお聞きしています。 (2002年秋収録)

③戦後復興の変遷と伊勢湾台風の体験を語る(8min4sec)

柴田駅前で居酒屋「幸楽」を営む横井克宣さんに戦中・戦後の名古屋の様子や、昭和34年 9月26日の伊勢湾台風の体験を語っていただきました。(2009年6月撮影)

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