名古屋城 昭和時代(1926‐1989) ~1960頃まで
名古屋城の変遷
明治26年(1893)から宮内省の所管となり名古屋離宮となった本丸は、昭和5年(1933)に名古屋市に下賜されて一般に公開され、名古屋城のは天守閣、本丸御殿などが、我が国最初の国宝に指定されました。城内三之丸の南西角にNHK名古屋放送局も開局し、外堀にはお濠電車と呼ばれた名鉄瀬戸線が、明治時代の末から走っていました。昭和8年(1933)には、陸軍の騎兵第3連隊が現在の守山区に移転、跡地に帝冠様式の名古屋市役所の新庁舎が建設されました。昭和13年(1938)には、愛知県庁の移転しています。
昭和20年5月14日、名古屋はアメリカ軍の大規模な空襲で市街の大半を焼失してしまいました。名古屋城も焼失し、昭和34年(1959)10月の天守閣完成までは、天守閣の台座のみの哀れな姿になっていました。
-詳しくは下記の解説と関連映像(解説下)をご覧ください-
名古屋離宮から名古屋市へ下賜
明治26年(1893)に、天守閣や本丸御殿のある本丸が陸軍省から宮内省に移管され名古屋離宮と呼ばれるようになりました。さらに昭和5年(1933)に離宮が廃止されて名古屋市に下賜されて、一般に公開されることとなりました。
(名古屋市市政資料館蔵)
NHK名古屋放送局
JOCKは大正14(1925)設立された社団法人名古屋放送局を起源としています。翌昭和元年(1926) 政府の方針で、社団法人を解散し新たに創設された日本放送協会の名古屋中央放送局となりました。同年6月名古屋場内三の丸に放送局舎が完成。7月には放送を開始しました。
(名古屋市市政資料館蔵)
移転直後の名古屋市役所
名古屋市の最初の庁舎は、栄町交差点の西南角にあり明治40年(1907)名古屋港開港の年焼失しました。 その後、現在の中区役所のある場所に移転、陸軍の騎兵第3連隊や野砲第3連隊が現在の守山区に 移転、跡地に昭和8年(1933)高さ53mの中央塔を持つ帝冠様式の新庁舎が中区三の丸の現在地に完成しました。
(名古屋市市政資料館蔵)
愛知県庁の移転
廃藩置県が明治四年(1871)発布されました。愛知県は額田県を合併し現在の県域となり庁舎は旧三の丸の竹腰邸の跡に置かれました。その後、東別院、南久屋町と移り、南武平町に移転され昭和時代初頭まで使われました。陸軍の騎兵第3連隊が現在の守山区に移転したこともあり、跡地に昭和13年(1938)、帝冠様式の庁舎を新築移転しました。現在でも県庁として使用されています。
(名古屋市市政資料館蔵)
お濠電車
名鉄瀬戸線は明治44年(1911)から昭和51年(1976)まで、名古屋城の外堀の中を走っており、「お濠電車」と呼ばれて瀬戸から名古屋へと向かう住民の交通機関として活躍しました。写真は、終点堀川駅に向かって走る電車の姿。
(名古屋都市センター蔵)
名古屋城空襲で炎上
第二次世界大の末期の昭和20年5月14日、軍需工場の多かった名古屋市は、アメリカ軍の大規模な空襲により中心部は焼土と化してしまいました。名古屋城も被災し天守閣や本丸御殿が焼失してしまいました。
(名古屋城総合事務所蔵)
昭和20年代(1945-1954)中頃の名古屋城
昭和20年5月14日の空襲で名古屋城の天守閣や本丸御殿は、焼失してしまいました。昭和34年(1959)10月に天守閣が完成するまで、天守閣の台座のみが、戦災の傷跡を晒していました。軍隊が去り、城内は、名古屋大学の本部や校舎として使われました。
(名古屋市広報課蔵)
名古屋城再建へ!
戦後の復興も軌道に乗り始めた、昭和20年代(1945-1954)も末になると、尾張名古屋の象徴とも言える 名古屋城天守閣の再建への願いが強くなりました。市民の間で募金活動も行われ、昭和34年(1959)10月念願の天守閣が完成しました。
(名古屋市広報課蔵)
外部リンク-「スマホで見よう!名古屋城」
掲載映像の解説
①地図で見よう!昭和初頭の名古屋城 (2mim9sec)
昭和初頭の名古屋城周辺をCGで紹介しています