堀川を行く2-納屋橋~松重閘門

詳しくは下記の解説と関連映像(解説下)をご覧ください


広井三蔵

広井三蔵

納屋橋を過ぎ左岸を見ると、現在は飲食店や劇場が並んでいます。このあたりは、江戸時代には、尾張藩の官倉(米蔵)のあった場所。福島正則が清州城内に三つの大きな食糧庫を建設し、清須越しでこれに倣って建設しました。倉の数は以前より増しましたが、昔どおり三倉と呼ばれました。明治時代に入り、名古屋駅開業で広小路が拡幅、延長されるまでは監獄などに使われました。

天王崎

天王崎

洲崎神社の北の堀川左岸には、明治10年(1877)に西別院境内から移転された公立医学校(明治36年に愛知県立医学専門学校に改名-名古屋大学医学部前身)の校舎と病院が置かれていました。法蔵寺八角堂は、尾張藩祖徳川義直が、名古屋城二之丸御庭に建てた聖堂を、七代藩主、宗春の時代に法蔵寺の本堂として下賜したもので、火災で焼失しましたが、平成16年2004)再建されました。

日置橋

日置橋

名古屋高速2号東山線が頭上を通る新洲崎橋、洲崎橋を過ぎ大須通にかかる岩井橋は、大正期の鋼アーチ橋で荷揚げ用に親水階段が残されています。日置橋付近の堀川両岸は、江戸時代の桜の名所、数百本の桜が植えられ花見時になると多くの見物客でにぎわいました。

松重閘門は、中川運河が昭和5年(1930)に運用を開始、これにともなって堀川との連絡をはかる運河の建設が必要となりました。中川運河の水位は堀川より約1メートルほど低いため船舶の航行には水位を調節する閘門が必要でした。昭和5年(1930)から昭和51年(1976)まで使用され、現在は公園として整備されています。


掲載映像の紹介

①堀川を行く-納屋橋~松重閘門(2min17sec)

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