堀川を行く3-松重閘門~宮の渡し跡

詳しくは下記の解説と関連映像(解説下)をご覧ください


尾頭橋

尾頭橋

松重閘門を過ぎ山王橋を通過、江戸七橋の一つ古渡橋あたりに来ると、材木商や製材所が見られ、かっては堀川両岸に材木商が軒を連ねて堀川が物流の拠点であったことを忍ばせています。尾頭橋は、江戸時代の堀川最南端の橋でした。河口に近く暴風などで橋が流されることも多く、架けかえ工事がよく行われてため新橋とも呼ばれていました。尾頭橋の南の住吉橋の堀川左岸にある沢観音妙安寺は、熱田神宮の周辺にあった四観音のひとつで、尾張名所図会にも描かれているように鈴鹿山系も望まれる名古屋三景のひとつでした。

名古屋国際会議場

名古屋国際会議場

瓶屋橋を過ぎ白鳥公園へ向かいます。名古屋国際会議場は、平成元年(1989)に名古屋市制100周年を記念して開催された世界デザイン博覧会の主会場として建設された白鳥センチュリープラザを再活用して平成2年(1990)に開設されました。名古屋開府400年にあたる平成22年(2010)には、第10回生物多様性条約締約国会議(COP10)が開催されました。また、白鳥公園内には、太夫掘(御船蔵・貯木場跡)、中部地方の地形をモチーフとした池泉廻遊式の白鳥庭園などがあり、市民の憩いの場となっています。対岸の断夫山古墳(だんぷさんこふん)は、東海地方最大の前方後円墳でヤマトタケルとミヤズヒメの墓とも伝えられています。江戸時代の河口近くに架かる、白鳥橋を過ぎた堀川左岸には、魚市場があり、近海の魚類はもとより遠近諸国からは船で、三河の吉田からは徒歩で運ばれた魚を尾張藩指定の六軒の問屋が売りさばいていました。

宮の渡し跡

宮の渡し跡

大瀬子橋を過ぎると視界が開け、かってはここが名古屋のウォーターフロントであったことを感じさせてくれます。現在、宮の渡し公園となっている一帯は、江戸時代には東海道最大の宮宿があった場所。七里の渡しは宮宿から桑名宿まで船で渡る東海道で唯一の海上路で、その距離が七里であったことから七里の渡しと呼ばれれました。満潮時には沿岸に浮かぶ島をぬうように、干潮のときは沖まで小舟で行き帆かけ舟に乗って桑名まで進みました。

東海道宮宿

東海道宮宿

宮宿は熱田神宮のお膝元、本陣2、脇本陣1、旅籠248、家数2924軒、人口10342人の東海道でも最大規模を誇る宿場でした。伝馬町から神戸町にかけて本陣、脇本陣、問屋場、西浜御殿、船番所が建ち並んでおり、往来の人並みが途絶えませんでした。伝馬町を進んだ三叉路で名古屋城下へ向かう美濃路と七里の渡しへ向かう東海道に分岐します。その正面に知麻我神社(源太夫社)があり、神社の前に高札場が置かれ 旅人に情報を提供していました。国道19号線建設のため、上知麻我神社は熱田神宮内に移転しています。現在の宮の渡し公園の海上には西浜御殿と対をなすように東浜御殿が沖合を埋め立てて建設され、大名をもてなす貴賓館として使用されていました。江戸時代の熱田は全国有数の歓楽街で、神戸町には高級料亭が建ち並び船出を待つ貴人や名古屋城下豪商の遊興の場となっていました。

掲載映像の紹介

①堀川を行く-松重閘門~宮の渡し跡(3min19sec)

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