堀川を行く4-宮の渡し跡~名古屋港

詳しくは下記の解説と関連映像(解説下)をご覧ください


熱田港

熱田港

名古屋港ができるまで、名古屋のウオータフロントは熱田港でした。熱田港の沖合いは遠浅で干拓事業には適していましたが、大型船の入港をはばむ大きな要因となっていました。そのため当時は四日市まで運ばれた貨物を小型船に積み替えて熱田港まで回漕せざるをえませんでした。このことが、名古屋の発展を 妨げる大きな要因となっており名古屋港建設の声がしだいに高まってゆきました。熱田沖にかかる紀左エ門橋一帯は、紀左衛門新田と呼ばれ、江戸時代に加藤紀左衛門が干拓事業を積極的に行った所です。

名古屋汎太平洋平和博覧会

名古屋汎太平洋平和博覧会

名古屋港建設のため、浚渫、埋立られた堀川両岸の広大な土地には、重工業を中心とする工場が相次いで建設されました。昭和12年(1937)には、名古屋港北の臨海地帯熱田前新田(現在の港区役所一帯)で名古屋汎太平洋平和博覧会開催が開催され、それに向けたインフラ整備の一環として、名古屋駅の新築移転、桜通の開通、東山動植物園の建設などが相次ぎました。

旧港新橋

旧港新橋

旧港新橋は、堀川東岸と名古屋港とのアクセスを改善するため昭和7年(1932)に、開閉式の橋として建設されました。それまで堀川を渡る手段は渡し船に頼るのみでした。現在、北側に国道23号線の通る港新橋が昭和47年(1972)に完成し、当時の面影はありませんが、かろうじて 名残をとどめる橋脚の基礎が残っています。

名古屋港ガーデン埠頭

名古屋港ガーデン埠頭

堀川口防潮水門は、 伊勢湾台風の甚大な被害を教訓として昭和39年(1964)に運用を開始しました。防潮水門を通過し名古屋港へ進みます。山崎川の河口の北側にある東築地小学校の場所には、昭和10年(1935)に閉鎖されるまで私立の海水浴場や南陽館旅館などを併設した名古屋教育水族館がありました。山崎川を挟んだ南側には、東邦電力(中部電力の前身)火力発電所や三菱重工業名古屋航空機製作所などがあり、この地区が戦前から重工業の中心地帯であったことを物語っています。名古屋港ガーデン埠頭は、かっての物流の中心でしたが、現在では、名古屋港水族館、シートレインランドなどのある観光スポットとして人気をよんでいます。


掲載映像の紹介

①堀川を行く-宮の渡し跡~名古屋港(3min18sec)

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